生き方、振る舞い、佇まい。全てにおいて一流だった高倉健さん。
ドラマや映画でのかっこいい演技や誠実な人柄に魅了された方も多いのではないでしょうか。
今回は高倉健さんの結婚歴を分かりやすく時系列でまとめてみました。
元妻である江利チエミさんとの馴れ初めや切ない離婚理由についてもご紹介します。
そして2人の間に子供はいたのかどうかも合わせて調査してみました。
是非最後までご覧ください。
高倉健の結婚歴まとめ
高倉健さんの結婚歴は結婚と事実婚を合わせると2回です。
・元妻:歌手で女優の江利チエミさん
・内縁の妻:元女優の小田貴月さん
事実婚とは、法律婚とは異なり法律上の婚姻手続きを行わず、同じ戸籍に入らない状態で夫婦と同等の関係を持った状態を指します。「両者が婚姻の意思を持って長期間共同で生活を営んでいる」など、結婚と同等な条件が揃えば事実婚として認められています。
セゾンの暮らし大研究
高倉健さんの法的な結婚歴は1度のみで、歌手で女優の江利チエミさんと結婚をし離婚をしています。
2度目は入籍はしておりませんが事実婚のような状態であったパートナーの小田貴月さんがおります。(小田貴月さんは高倉健さんの亡くなる1年ほど前から養女になっています)
小田貴月さんが高倉健さんの養女になった理由や小田貴月さんについてはこちらの記事にまとめているので気になる方は合わせてご覧ください。
それではまず元妻である江利チエミさんとの結婚生活からご紹介していきます。
高倉健1度目の結婚相手(嫁)江利チエミ
1959年に3年間の交際を経て結婚
1971年に離婚
当時高倉健さん28歳、江利チエミさんは22歳で結婚されたそうです。
結婚生活は約12年
2人はどんな結婚生活を送ってきたのでしょうか。
まずは江利さんのプロフィールからご紹介していきます。
江利チエミのプロフィール
名前:江利チエミ
本名久保 智恵美(くぼ ちえみ)
生年月日:1937年1月11日(昭和12年)
没年月日:1982年2月13日(昭和57年 45歳)
出身地:東京市下谷区(現・東京都台東区下谷)
血液型:A型
家族:6人(3男1女の末娘)
父親:久保益雄(音楽家)
母親:谷崎歳子(元女優)
昭和初期の1937年に生まれた江利さんは現在でいう東京都台東区下谷の出身。
東京国立博物館や上野動物園にほど近いエリアです。
父はクラリネットの奏者から手を痛めた事によりピアノ弾きに転身。
母は元女優として浅草の軽演劇の舞台に立つ仕事をしていた。
一見裕福な家庭で育ったかのように思われる江利さんですが、仕事を失った父や病床で寝たり起きたりの母や家族の為に12歳で芸能界デビューをしたそうです。
江利さんはメジャーデビューシングルの「テネシーワルツ」をリリースすると23万枚の大ヒット!あっという間にスターへの階段を上っていきました。
当時、美空ひばりさん、雪村いづみさんと共に「三人娘」と呼ばれ、一世を風靡していたそうです。
※3人娘とは(3人とも1937年生まれ)を指す総称である
Wikipedia
高倉健と江利チエミの馴れ初め
2人の出会いは映画での共演がきっかけ
1956年の映画共演を機に高倉さんと江利さんは出会う。
高倉健さんに惚れていた江利さんは芸能界の母のような存在であった清川虹子さんに恋の相談。
清川さんが高倉さんと江利さんの恋のキューピットとして2人を繋げる。
「江利の芸能界の母と言うべき存在だったのが清川虹子。江利が高倉にたいそう惚れ込んでしまい、清川に相談した。清川は健さんに『チエミちゃんのこと、何とかしてあげなさいよ』と言い、交際が始まりました。結局、押し切られる形で結婚へと至りました」
ASAGEI plus
交際から約3年後の1959年に高倉さんと江利さんはめでたく結婚。
2人の事を応援してくれる清川さんはとても心強い存在ですね。
『チエミちゃんのこと、何とかしてあげなさいよ』と後押ししてくれる所も2人を想っての事だったんでしょうね。
しかし、結婚生活は順風満帆とはいかなかったようでトラブルに巻き込まれる事もあったそう。
2人の結婚生活はやがて、トラブルに見舞われる。付き人をしていた江利の異父姉が横領事件を起こしたり、2人を攻撃するデッチ上げ話を流したりするなど、夫婦関係をこじらせる行為を繰り返した
ASAGEI plus
高倉さんと江利さんは付き人をしていた江利さんの異父姉にとても困っていたそう。
異父姉によって2人の仲に溝が出来てしまったんだとか。
高倉健江利チエミとの間に子供はいた?
高倉さんと江利さんの間に子供はいません。
結婚から3年後の1962年に江利さんは妊娠をし、子供を授かりますが重度の妊娠高血圧症候群を発症。
中絶を余儀なくされてしまったそうです。
高倉と結婚した3年後の1962年、チエミは妊娠し子供を授かるが重度の妊娠高血圧症候群(この当時は「妊娠中毒症」と呼ばれていた)を発症し、中絶を余儀なくされ子宝には恵まれなかった。
Wikipedia
高倉健江利チエミとの離婚理由
1971年に江利さんから高倉さんに離婚を申し入れる。
その理由は『姉(異父姉)による横領事件などがあって、高倉に迷惑をかけてはならない』から。
理由がとても切ないですね、、
離婚理由が自分たちの事ではなく、異父姉による横領事件やトラブルによって引き起こされているなんてお二人はとても悩んだでしょうね。
お気持ちを想像するだけで胸が痛みます。
江利さんは高倉さんを愛していたからこそ手放す決断をされたのではないでしょうか。
高倉健2度目の結婚相手(嫁)小田貴月
高倉健さんは江利チエミさんと離婚後はどなたとも再婚はしていません。
しかし、晩年は事実婚状態であった内縁の妻小田貴月さんがいたことが判明。
1997年から2014年までの17年間交際をしていた
16年間事実婚の状態が続いていましたが、高倉さんが無くなる1年前の2013年には正式に高倉さんの養女となっています。
高倉健さんが小田貴月さんを養女にした理由はこちらにまとめていますのでご参照下さい。
小田さんは高倉さんの事実婚のパートナーであり養女でもあり17年間支えてきたようです。
まとめ
いかがでしたか。
高倉健の結婚歴まとめ!
元妻江利チエミさんとの馴れ初めや離婚理由、子供はいた?についてご紹介しました。
他にも高倉健さんにまつわるエピソードをまとめているので合わせてご覧下さいませ。