高倉健の養女は元女優の小田貴月!馴れ初めや妻でなく養女にした理由を徹底調査

高倉健が小田貴月を養女にした理由

多くの人を魅了し、感動を与えてくれた大スター高倉健さん。

そんな高倉健さんの養女である元女優の小田貴月さんがテレビ朝日『徹子の部屋』に出演し、今話題になっています。

今回は高倉さんと養女小田貴月さんの出会いから馴れ初めについて調査。

また、妻やパートナーという関係ではなく「なぜ」養女にしたのか理由も合わせて調べてみました。

目次

高倉健と養女「小田貴月」の出会いは香港のレストラン

高倉健さんと小田貴月さんが初めて出会ったのは今から27年前の1996年

場所は香港のレストランだったそうです。

出会いの場所が日本国内でなく海外だったのは何か運命的なものを感じますね!

当時の様子を小田さんはこのように語っていました。

「偶然なんですけど、仕事で回っていた香港(のホテル)でレストランに入りましたら、“オープン前なのにどなたかいらっしゃる”っていうのが雰囲気で分かりまして、ドアを開けましたら、常識的に“あ、高倉さんだ!”って分かったんです。私たちは取材班なので、身綺麗ではありますけど、身汚しになってはいけないと思って、すぐにその場を離れて、もう一度、レストランに入ってもいいかどうかを伺っていただいて、レストランの隅っこのほうで、パーテーションで仕切っていただいて、ご飯を食べていた」

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  • 小田さんが雑誌の取材で香港を訪れていた
  • ホテルのレストランで高倉健さんが食事をしている姿を目撃
  • 小田さん達も同じレストランの離れた場所で食事

出会った当時高倉健さんは65歳。沢山の映画にも出演し、既に多くの方に名が知れ渡っている大スター。

そんな高倉さんと出会いがあるなんて小田さんはご縁があったんですね。

「そうすると、デザートの時になって、忍者のように近づいて来られて、音もなく。スッと来られて“もう、そのままで”と言ってくださって、“わざわざ自分たちのために隅でご飯食べていただいて申し訳ない”みたいなことをおっしゃっていただいて。“どうぞ、良い仕事を続けられてください”って一言だけ伝えてくださって、スッとその場を離れたんです」

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高倉さんの方から小田さん達へ声をかけ、

「わざわざ自分たちのために隅でご飯食べていただいて申し訳ない」と、周りの方への配慮を忘れない方なんだと伺えますね。

その後、ホテルのスタッフが高倉さんから預かった名刺を小田さんが受け取り、名刺にあった連絡先へ香港で取材をして作成をした雑誌を送ったんだそう。

当時は今のように携帯も普及していなければ簡単に連絡が取れる時代じゃなかったわよね

私ならその名刺、一生の宝物にするわ

高倉健と養女「小田貴月」馴れ初め

高倉健と小田貴月の馴れ初め

2人は香港での出会いの後、小田さんが雑誌やポストカードを送ったり、高倉さんも小田さんに著作物を送るなどをして約1年ほど親交を深めていたそうです。

ある時小田さんが仕事でイランへ行く事になったそう。

高倉さんも「ゴルゴ13」の撮影でイランを訪れたことがある為イスラム圏で女性が仕事をするのがとても大変という事を理解しておりとても心配をされたんだそう。

「ある時、ジーンズを履いて上をできるだけカバーするものを着てたら、ヒップラインが出ているってことで、パトカーに引っ張られそうになって。“私、日本人です!”って、パトカーに押し込められる直前で大丈夫だったんですけど、そんな話をしたら“すぐに帰ってきなさい!”って怒られまして。“でも、高倉さんから依頼があった仕事ではないので、いくら何でも帰れません!”って言ったら、ガチャン!って電話切られて」と苦笑。「そんな紆余曲折がありまして、日本に帰ってきてから、高倉さんと会って、話をして。まあ、叱られたことがきっかけです」と懐かしみ、「高倉さんはきっと“出来ません”とか“それは違います”とか、そんなこと、言われたことは無かったと思うんです。だから怒ったのかもしれませんね」と笑った。

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高倉さんは小田さんの事がとっても心配だったんですね。

高倉さんにとって小田さんは今まで出会った事のない女性だったんでしょうね。

はっきりと意見を言う姿勢が高倉さんにとって惹かれる部分があったんだと思います。

高倉健が小田貴月を結婚相手(妻)ではなく養女にした理由

高倉さんは1952年2月に歌手の女性と結婚をしていましたが、1971年に離婚をしています。

なので高倉さんが小田さんと出会った時には既に独身の状態でした。

それでは一体何故、高倉さんは再婚ではなく小田さんを養女に迎える事にしたのでしょうか。

1996年の出会いから1年間の親交を深め晴れてお付き合いを開始した2人。

交際相手として高倉さんが亡くなるまで17年間寄り添い、法的な夫婦でも家族ではなかった。

しかし、実は高倉さんは再婚の意志があり、小田さんに婚姻届けを持ってくるように言っていたそうなんです。

「長期のロケに参ります時に、書類を取ってきてって言われて、婚姻届を役所のほうからいただいてきて、自分のサインをするんです。“何かあったらこれを出しなさい!”って」「でも、何かあったら出せないんですよね」と苦笑しつつ「もし亡くなっているってことがあったら、届け出はもちろん、出せないんですけど、私はその気持ちだけで十分だったんです」

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もうこれはプロポーズですよね!

そんな事言われたらサインして、走って区役所に出しに行くわ♪

その後婚姻届けは出される事なく月日は過ぎていきますが、あるきっかけがあり法的に家族になる事を考え始めたんだそう。

それは、小田さんの母が脳梗塞で倒れたこと。

2011年11月、小田さんの母が脳梗塞で倒れたことだという。その時は1カ月ほどで退院できたというが、「毎日通っている中で、親族じゃないと、病状をうかがうこともできませんし、病室で看病することもできない。高倉さんはたぶん大きな病気をあまりしなかったので、そういうことが分からなかったらしいんです、“え?そうなの?”って」と小田さん。そのことを伝えると、当時は籍も入っていない状態だったこともあり、高倉さんは「それは困るな」とポツリ。

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入院の同意も法的なご家族でないと出来ないですよね、長年一緒にいてもいざという時に側にいてあげられない状況が困ってしまうと身をもって感じる出来事だったんでしょうね。

結婚をしなかったのは高倉さんが「一度、離婚した時のトラウマがあった」といい、「紙にしばられるのは違うんじゃないか。好きで一緒にいるんだったら、それがいいじゃないか」という思いだったという。そのことについては「私も了解していたので、全く問題がなかった」と小田さん。ただ、高倉さんよりも若い小田さんの母が倒れたことで「わが身を振り返るきっかけになったようなんです。そっか、何かしなきゃね!って。そこで初めて気が付いて」とした。

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高倉さんは一度結婚、離婚を経験されているのでトラウマがありご自身なりの考えがあったようですね。

高倉さんが無くなる約1年前の2013年に小田さんは正式に養女になりました。

高倉さんは小田さんに『養女でいいかな?』と小田さんに提案

小田さんは高倉さんが望むならと意志を尊重し、養女になったそうです。

まとめ

いかがでしたか。

高倉健の養女は元女優の小田貴月!馴れ初めや妻でなく養女にした理由を徹底調査についてご紹介してきました。

調査をしていて2人の素敵な運命な出会いと、高倉さんと小田さんの絆の強さを感じました。

今後も小田さんの活躍を応援しております。

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